春日井市役所勤務

1 お名前

HS(春日井市出身)

2 卒業年度:何回生

6回生

3 プロフィール

私は、生まれも育ちも、春日井市です。春日井西高校では、陸上部に所属し、毎日走っていた記憶です。小牧山が近かったことから、「ロードワーク」と称して、走りにも行きました。当然、再開発される前の小牧駅前をかすりながら、市街地を抜けるときには、水田の中の校舎から見る風景とは違うなあ、と思って走りました。また、あの頃は、県大会なども、瑞穂陸上競技場が改装中で、知多市にある朝倉の陸上競技場へ名鉄で遠征していました。「太田川」の駅名は今でも鮮明に思い出します。
大学は豊橋で下宿しましたので、少々、春日井を離れましたが、47年間のうちのほんの4年間です。

4 高校時代の思い出

顧問の加藤先生の影響力が記憶に残りました。陸上部には不釣り合いなくらい立派なウエイトトレーニング機器が部室にありましたから。あと、300メートルグランドを走るのに、野球部、サッカー部、ハンドボール部、ラグビー部の合間を縫って、それでも、淡々と周回していましたね。今ではできません。

5 現在の職業:なぜその職業についたか

春日井市役所に勤務しています。大学の専攻が、文学部史学科日本史専攻でしたので、先生か、公務員といった職業を漠然とイメージしていました。実は、教育実習も母校でお世話になりましたが、教員になることはその生徒に対する影響力の大きさからと当時も教員試験の狭き門に断念しました。

6 その職業で楽しいこと、やりがいなど

配属された部署にもよりますが、いままで経験した私の課では、対外的な交渉もありますので、人と人との出会いがあり、また、自分の力ではできないことを実現できることでしょうか。

7 その職業で辛いこと、苦しいことなど

一言でいうと、「宮仕え」です。思うようにならないことがあっても、我慢を続け、実現できると信念を持つことです。

8 在校生へのアドバイス

新聞などに「希望をもつことができない若者」などの記事が載ります。実は、高校生の頃、それほど希望多き生徒ではありませんでした。ただ、自分の能力(価値)は、自分が評価するだけではありません。自分の評価はそれほどでもなくても、他者から高い評価をされることもあります。場所が変わり、人が変わり、時が変わると、同じことをしている自分に対する他者の評価が、とても高くなっていることがあります。それから、西高校庭外周の走り方は、ブラインドコーナーは、細心の注意を払って周り、直線で加速、またブラインドコーナーと、緩急をつけて、ただし、水田から見ると全部良く見えるのです。人生もよく似ています。

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